今回は滋賀・京都ドライブの内、前回紹介しました関ヶ原訪問の後に訪れた彦根城について紹介します。
関ヶ原からは一般道でも30分ちょっとで行けますが、関ケ原で予定よりも時間を使ってしまったので彦根城到着は予定よりも遅くなってしまいました。

彦根城について
彦根城は、日本に5つある天守が国宝に指定されているお城の内の1つです。彦根城の他には犬山城、松本城、姫路城、松江城があります。
こちらが彦根城のマップです。

彦根城は徳川家康の命により佐和山城を一掃するため、慶長9年(1604)より着工されました。当初は湖畔の磯山を予定していたようですが、井伊直継の代になって現在の彦根山に決定し、20年の歳月をかけて築城されました。
天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築された為、天守は2年程で完成したようですが、表御殿の造営、城郭改造など、城郭の完成は1622年とされていて、着工から完成までは約20年の歳月がかかっています。
こちらが彦根城天守です。大坂城や名古屋城のような大きさはないですが、立派な天守です。この天守、実は明治時代に解体の危機がありました。

明治時代に入ると各地の城は廃城令で破壊・売却されていったようで、彦根城も例外ではなく、天守閣は明治元年に700円で落札されたようです。ところが解体される寸前で明治天皇が明治11年10月、北陸巡幸を終え、彦根を通られたときに、保存するようにと大命を下され、彦根城天守閣は保存されることとなりました。
紅葉の時期に行きましたので、紅葉の綺麗な写真も紅葉と彦根城の写真も撮れました。

天守閣内部からの眺めです。

天守閣を間近から。天守閣見学から戻るとちょうどライトアップが始まったところでした。

戦の為の城
彦根城は戦の為の城とも言われています。
その為、城の防御力を高める為の仕掛けが随所に施されていて、その仕掛けを知ると彦根城がどれだけ防御力が高く攻めにくいお城であったかが分かります。
高い石垣の上に入口
彦根城の入口は侵入を防ぐ為に高い石垣の上に作られていて、さらに入口の左右には櫓が設けてあり、城に侵入する者を監視していました。
また彦根城の石垣は高く、かつ隙間が少なく掴むところがない為、彦根城の防御力を一層高めています。
落とし橋
彦根城への入口には橋を渡って行く造りになっていますが、この橋は敵が入口に近付いた時に簡単に落とせるようにその足が簡素な作りとなっています。
登りにくい石垣に加えて、橋の下に落とされてしまっては、さらに登るのが難しくなってしまいますね。

天守閣には遠回り
橋をクリアし、入口を突破出来たとしても天守閣に行き着くには更なる困難が待ち受けてます。
天守閣への道は入口から一直線に天守閣に向かっているのではなく、曲がりながら向かっています。その為、遠回りをしなければなりません。
さらに石段の間隔は異なったものになっていて、歩きにくい造りとなっていて、ここでも時間を要してしまいます。

鉄砲狭間・矢狭間
天守閣に辿り着いた後も侵入者には試練が待ち受けています。
天守の内部には鉄砲狭間、矢狭間と言われる仕掛けがあります。

ここから外に向けて鉄砲や弓を放ちます。
実はこの穴は普段は開いておらず、攻めて来た敵からは見えません。その為、「隠狭間」とも言われています。
玄宮園
今回は彦根城に隣接する玄宮園という庭園にも行きました。この玄宮園は隣接する楽々園(現在は庭園部分を玄宮園、御殿部分を楽々園と称しています。)とともに延宝5年(1677年)、4代藩主井伊直興により造営が始まり、同7年に完成したと伝えられています。
昭和26年には国の名勝に指定されています。
彦根城から玄宮園までの道中は紅葉が綺麗なスポットがありました。

白鳥もいました。

玄宮園自体は実際に立派な庭園で回遊式庭園というだけあって、どこから見ても綺麗な庭園でした。


まとめ
彦根城について、名前は聞いたことがあったのですが、滋賀県自体になかなか行くことがなく、今回が初めての訪問でした。
到着時間が遅くなってしまい、駆け足での見学でしたが、防御の為に色々と工夫が凝らされていて、彦根城が攻めるのが難しいと言われている理由がわかりました。
今回見れていない箇所もあるので、どこかでまた訪れたいなと思いました。その際は時間をしっかり取って見学したいなと思いました。皆さんも訪れる際は半日ぐらいは時間を取っておいた方が良いと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました!